アトリエ木下100周年

アトリエ木下は、100年という長い歴史の中で
たくさんのお客様の人生の節目や、佳き日の記念を
確かな技術と真心で写真に刻んでまいりました。
これからも、皆様の人生の輝く瞬間を鮮やかに彩り
一生忘れられない思い出として残します。

ごあいさつ

アトリエ木下は1923年の創業以来、
「感動の共有」「人生の価値の創造」を二つの大きなテーマとし、
多くのお客様の人生に寄り添い、絆を紡いでまいりました。
『腕一本』の看板を掲げ「伝統と革新の企業文化」のもと、
技術を伝承し未来を切り開き常に時代を先駆けてまいりました。
まさにアトリエ木下の歴史は、日本の写真史そのものであります。

そして アトリエ木下は2023年に創業100周年を迎えます。
この記念すべき年を迎えることができるのも、たくさんの方々に
支えられてきたおかげです。改めて厚く御礼申し上げます。

これまで歩んできた100年間のキセキを振り返り
全ての方へ感謝を伝えるために、
そして 変化し続ける時代の中で熱き念いと情熱を持ち、
次の時代をリードする企業となるために、
我々は常に進化し続けてまいります。

創業100周年と新たにスタートとなる101周年のテーマを
「伝統と革新のその先へ」とし社員全員で感謝と躍進の年にします。
今後とも変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

木下 雅文

株式会社木下写場
代表取締役社長

木下 雅文
木下 賀文

株式会社木下写場
取締役 管理部長

木下 賀文

<100周年実行委員長>

創業から現在までのあゆみ
1923年

創業

創業者 木下徳弘は、福岡県八女で生を受け画家を目指し、十数歳で同郷の高名な洋画家 坂本繁二郎を訪ね入門を乞うも断られ画家への道を絶たれた。失意の中、姉の嫁ぎ先の八女の写真館に入門した。
10年間勤めた後、写真館経営を自分の天職と捉え、1923年に当時軍港として栄えた門司市内本町で独立開業した。
開業当初「第一冨士写真舘」と名乗り、社員はお揃いのルバーシカ風の制服制帽を身につけ、瞬く間に支店を下関・小倉・戸畑・八幡と十数箇所に増やしたが、「人工光線の写真はホンモノではない。写真は天然光線でなければならない」と芸術写真への強い執着で十数ヶ所の支店を全て一斉に閉鎖し、すぐさま自然光を取り入れた木下写真館(第2号館)を1930年に門司栄町に新規移転誕生させた。
まさに『光』の原点を求めての第二の創業である。
1942年 戦火激しい軍港の町門司市を離れ、一旦店を畳んで疎開せざるを得なくなった。

門司にて創業。当時は「冨士写真館」という屋号にて
営業しており、北九州に十数店舗を展開していた。
1930年

黎明期(門司栄町時代)

木下徳弘
創業者 木下徳弘(1898〜1975)

幼少期画家を目指すも写真を天職として捉え、八女の写真館に入門。25歳の若さで当時九州随一の軍港門司に開業し、創業者として現在の木下写場の礎を築いた。
事業家としても九州初の現像所を設立するなど先見の明に秀で、進取の精神と天性のアイデアと胆力を合わせ持ち、波瀾万丈の人生を送った。また業界のリーダーとしても大きな功績を残し、その剛毅な人柄で「関門の虎」の異名を持つ。

マサエ夫人とともに
マサエ夫人とともに
1927年 博文(二代目社長)誕生
1927年 博文(二代目社長)誕生
1950年 上野彦馬像の前で
1950年 上野彦馬像の前で
自然光を取り入れた木下写真館を門司栄町に移転開業
自然光を取り入れた木下写真館を門司栄町に移転開業
1946年

小倉へ本社移転

創業者 木下徳弘は、疎開地で東洋化学燃料会社を設立し練炭工場を設立するも、終戦を迎えこのまま練炭工場を継続するか写真館を再興するかの判断は若き2代目木下博文に委ねられ、博文の強い要望で疎開から戻り営業を再興することにし、小倉魚町に縁を得て1946年に木下写真館を開業した。これが現小倉本店の地である。
開業時 大勇猛進を奮起させ写真技術を世間に表明すべく『腕一本』という文字と片腕の絵を描いた看板を掲げた。残念ながらその後の小倉大洪水により倉庫に保管のアルバムや写真類の全てを流失してしまった。今なお様々な試みで探すもこの看板を写した写真も見つからないままであり、まさに技術を象徴する看板が幻となってしまったことが残念でならない。
また創業者 木下徳弘は1959年に九州で初の現像所となる九州カラー現像所を設立した。一時は社員50名の規模にまで拡大したが、その後その経営から全て手を引いた。
戦後二十数年経過した1972年、木下博文は旧小倉本店を新たに4階建ビルに建て替えた。このビルも早いものですでに50年が経過し、まさに創業100周年の2023年に再開発により移転開業となり、新たな一歩を刻むこととなる。

終戦後、門司から小倉に本社を移転。1946年頃の新社屋棟上げの様子
終戦後、門司から小倉に本社を移転。1946年頃の
新社屋棟上げの様子
1972年 小倉本社ビル新築完成
1972年 小倉本社ビル新築完成
1968年 当時の小倉本店
1968年 当時の小倉本店
1972年

小倉本店ビル新築完成

木下博文
第二代社長 木下博文(1927〜2008)

木下写場の事業の礎を築いたのが創業者 徳弘ならば、まさに技術の礎を築いたのが、二代目社長 博文であった。
戦後本店を門司から小倉に移転し北九州の中で不動の地位を築いた。営業写真を記録から「芸術」に高めるべく1枚の写真に魂を込め美を追求し、人物の内面の美しさを捉えるシャッターチャンスで多くのファンを持つ。また30代〜40代の時期に数々のコンテストで受賞し、その作風で多くのファンを魅了した。全国各地に多数の門下生を輩出し、その美学は今も脈々と受け継がれている。

1954年 博文、挙式当日
1954年 博文、挙式当日
1955年 本店前での博文夫妻
1955年 本店前での博文夫妻
木下 博文 作品

(1955〜1975年頃)

1992年

福岡出店

1992年 木下雅文は、福岡市浄水通りにアトリエ木下の屋号で新スタジオをオープンさせた。この自然光を取入れたオープンスタジオは、まさに時代の先駆けをいくスタイルであった。バック紙の上でストロボだけで写すのが当たり前の時代に、自然光をふんだんに取入れロビーやテラスをも撮影コーナーとして活用した動きのある写真は多くのファンを獲得した。
現在では自然光やロケを取入れるスタジオも増えてきているが、すでにその当時からこのスタイルを取入れたスタジオはアトリエ木下だけだったといえる。
またウエディングフォトを一変させたと言われるほどの評価を得た。
その後、福岡市内でシーホークやグランドハイアット等のホテルテナントとして次々と出店を重ねていき『アトリエ木下の神髄は婚礼写真にあり』と言われるほど婚礼写真に特化したスタジオとして広く認知されていった。
また2000年にはエアーステージという未来志向の真っ白なデジタルスタジオを天神に開業した。今でこそデジタルでの撮影に様変わりしたが、2000年当時よりフルデジタルスタジオはほとんど皆無で、時代を先駆けるスタジオのデビューである。数々の建築雑誌にも取り上げられたスタジオではあるがその先進性ゆえ残念ながら数年で営業を終えたが、建築雑誌にはその当時の模様が克明に記録されている。

1992年、浄水通り店オープン。
1992年、浄水通り店オープン。 1992年、浄水通り店オープン。
1992年、浄水通り店オープン。
窓一面から自然光が降り注ぐ明るいロビー。スタジオ全てが撮影箇所という考えでこのロビーも自然光スタジオとして大いに活用した。
メインスタジオは、太陽の光と自然との調和を大切にするため、当時では珍しいオープンスペースのスタイルをとった。
2000年 スタジオの概念を覆す未来志向のスタイルで「エアーステージ」がドラマチックデビュー
2000年 スタジオの概念を覆す未来志向のスタイルで「エアーステージ」がドラマチックデビュー
2005年

浄水本社ビル新築完成/
多角化スタート

ホテルや結婚式場のテナントとして展開する中、もっとお客様と末長く撮影を通して繋がっていきたいとの念い(おもい)から、ライフサイクル全般を衣裳・美容・写真とトータルで提案できる路面店スタジオの展開のスタートとして、浄水通り本店ビルを2005年新築完成させた。
この浄水通り本店スタジオは、レストランヴェルフォンセやチャペルブランネージュとの複合施設として全国でも類を見ない多目的スタジオとなった。この浄水通り本店スタジオを皮切りに多角化に大きく舵を切り、ウエディングテナントスタジオとトータルスタジオの2本柱で展開が始まり、福岡・北九州地区を中心に衣裳・美容・写真を併せ持つ路面店トータルスタジオを次々と展開していった。

2005年オープンの浄水通り本店ビル
2005年オープンの浄水通り本店ビル
レストランヴェルフォンセのメインダイニングと、チャペル「ブランネージュ」
レストランヴェルフォンセのメインダイニングと、チャペル「ブランネージュ」
窓から自然光が差し込む明るいスタジオ
窓から自然光が差し込む
明るいスタジオ
落ち着いた色調のロビー
落ち着いた色調のロビー
2012年

関東初出店

2012年 目黒区自由が丘に関東1号店となる自由が丘店(現自由が丘本店)を開業し関東初進出を果たし全国展開の第一歩を記した。
その翌年には代官山店、成城店、あざみ野店と次々に出店を重ね、現在では東京都に4店舗、横浜市に3店舗の合計7店舗で関東地区に展開している。
関東の7店舗とも自然光を取り入れた撮影手法とその独自のスタジオコーナー作りでオリジナリティ溢れるスタジオ展開は、チェーン店とは大きく一線を画し1店舗ごとそれぞれ特徴を活かしたそのスタイルで関東地区にも多くのファンを獲得し、現在に至っている。

2012年にオープンした自由が丘本店
2012年にオープンした自由が丘本店
都筑桜並木店
都筑桜並木店
成城店
成城店
代官山店
代官山店
南町田グランベリーパーク店
南町田グランベリーパーク店
日吉店
日吉店
あざみ野店
あざみ野店
2017年

多角化推進/
既存店舗リニューアル

2017年以降既存の路面店のリニューアルに着手した。元々様々な撮影コーナーを各店舗ごとに提案してきたが、このリニューアルを機にさらにコーディネートを進め本物志向の家具や内装で撮影バリエーションがさらに広がっていった。

フレンチシャビーテイストのコーナー/千早店
フレンチシャビーテイストのコーナー/千早店
アンティーク家具でコーディネートしたスタジオ/小倉南店
アンティーク家具でコーディネートしたスタジオ/小倉南店
春日南通り店の振袖コーナー。その他、小倉南店、千早店、自由が丘本店にもコーナーを設置、今後も順次展開していく
春日南通り店の振袖コーナー。その他、小倉南店、千早店
自由が丘本店にもコーナーを設置、今後も順次展開していく
木下雅文
第三代社長 木下雅文(1956〜)

1956年小倉で生を受け、大学在学中に写真サークルに所属し写真に魅せられ実家の写真館を継ぐことを決意。卒業後新宿伊勢丹写真室で2年間の修行後、九州に戻り木下写場に入社。1992年福岡市浄水通りにアトリエ木下をオープン。1997年には全国PGC第12代議長に就任し全国若手写真館経営者の代表として活動した。その後2000年に(株)木下写場第3代社長に就任し福岡・北九州の2拠点体制でスタジオを展開。2012年には全国展開の第一歩となる自由が丘店を開業し九州・関東の2拠点体制に移行、現在に至る。

1985年 結婚写真
1989年 家族集合写真
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